2009/09/08

質問の根っこ

●議員の質問とは、どこかで“社会への疑問”や“現状への怒り”というものにつながっていなければ、いけないと考えている●逆に言えば“社会への疑問”や“現状への怒り”がない人が議員であってはならないとさえ考えている●もちろん偏見である。しかし、政治の状況をつぶさに見れば今回の民主党の小沢氏の行動力は、深い“社会への疑問”や“現状への怒り”が彼の中になければ、到底できなかったのではないかと思えるからである●或いは小泉前首相の政治行動は誰が見ても自民党の中での旧田中支配、経世会支配への疑問や怒りから発していたものである。いずれも破壊力が実現した●それに比べて、安倍、福田、麻生の各氏は、何ら“社会への疑問”や“現状への怒り”が感じられなかったし、たぶん希薄だったのだろう。石にしがみついてもという迫力はなかった。結果何もなし得なかった●つまり、政治主導とは、その政治家にどれほどの“社会への疑問”や“現状への怒り”が蓄えられているか、ということに比例するということである●小沢、小泉氏に及ぶべくもないが、地方議会においても同様である。“社会への疑問”や“現状への怒り”のない議員は、議会においても何を質問して良いのか常に方向性が定まらない●適当に話題性のある、かつ誰でもできそうな質問を繰り返しては体よく役人にあしらわれていることも少なくない(役人に先生、先生と奉られている、いわゆる森昌子症候群のことだが)●国政と地方政治は制度が異なるので、地方議員は質問抜きでの政治力というのはあり得ない。地方議員は質問がすべてなのである。