2011/02/03

3月の内閣不信任案

国会論戦を見ていると「歴史への反逆」という言葉が取り上げられている。しかしこの言葉って何だ?有名な言葉なのかと思って調べてみたが見あたらないとなれば「反逆」という語感が単に刺激的だったということだ。おそらく「歴史への」というのは「国民への」とか「国家への」というメタファーのつもりなのだろうしかし権力者が刺激的な言葉を使うのは、「恫喝」の類である。そして同時にピンチの極みともいえる論理的に行き詰まった末に権力者が行うのが恫喝であろう。すでに予算案が通らなかったらどれほど国民生活に迷惑が及ぶか調べさせているというそんなことなら予算審議そのものが「歴史への反逆」ということだ。中身で勝負ではなく、言うこと聞かないと困りますよ、というのはまさに崖っぷちということ国民は菅氏が1年前の小沢邸新年会で、乾杯の音頭までとってご機嫌を取っていたことを覚えている、また鳩山内閣が沖縄問題で行き詰まっても、平然と副総理でありながら無関係を装いながら逃げて、総理のイスについたことも覚えているそれもこれも総理になるための便法という見方もあったが、残念ながら今となっては菅氏の本領だったとしか言いようがない。それが今行われている国会論戦で日増しに明らかになっている(菅氏はほとんど他党から信じられていない様子がありありと。信じたのは与謝野氏だけのようである)さらに予算審議が進むにつれて、民主党の政策が菅氏によってどんどん後退されていく。つまり民主党の論理的な部分を次々に廃棄しようとしているのだ実はこれは民主党内にとって一大事である。まるで日産の社長がわが社でトヨタの車を売ってもいいと言うようなものである。さらに場合によっては日産の車を生産中止にしてもいい、というようなものである。日産の社員は驚くであろう。そしてそんな社長をクビにするか、いっそのことトヨタに転社するだろうトップというのは常に前進を強いられる。なし崩し的に後退すれば、組織は崩壊するか、一致団結してトップを追放するかである新聞報道では強制起訴の被告人をめぐる人間関係や与党、野党の構図しか見えないが、民主党の底流では異なる化学変化が起きつつあるのではなかろうか。果たして「民主党の反逆者」は誰なのか?いずれ3月にわかるだろう。