2013/11/12

直下地震、足を引っ張る老朽庁舎

 日曜日の早朝も関東は揺れた。中央防災会議が首都直下地震の想定を現行の7.5から8.5に変えるという。(8日毎日)マグニチュードが1増えるということはエネルギーが33倍増える。
 世田谷区役所の本庁舎(第一から第三まである)はこの新想定でいけば完全にアウトだろう。今や都内で最古の庁舎となりつつある第一庁舎が竣工したのは1960年9月25日。築53年。
 上記の第一庁舎で約740人の職員が働いている。この庁舎とは別に第二庁舎があり、そこでも約740人が働いている。合計1500人。(第二庁舎の竣工は1969年3月31日)
 上掲は第一庁舎の3階床。深刻な亀裂が生じている。また第二庁舎の床は傾いていてボールが転がるほどという。
 実は最古の施設庁舎は、第一庁舎隣の世田谷区民会館。竣工が1957年9月25日。築56年。ここは災害時の食料及び生活必需品の集積場所となっているが座席が固定式で階段状になっており、使用勝手が困難といわれている。
 上掲は1960年頃、手前が世田谷区民会館(事務棟含む)と向こうが出来たばかりの第一庁舎。もちろん、現在、耐震工事はなされているが(2001年実施)これは1995年の阪神淡路大震災を受けて国の補助金等で行ったもので、いわゆる外枠にバッテンを入れ、露出している柱を補強した“程度だった”。
 “程度だった”というのは、“そのうち建て替えるのだから”という意識が少なからずあったからである。その後、2004年の新潟中越地震、そして2011年の東日本大震災。3,11では第一庁舎の窓ガラスが大量に破損している。

 いづれ首都直下は来るだろうし、(それは1回ではない、何年かおきにまた来る)多数の犠牲者が出ることは避けられないし減災の思考で立ち向かうしかないが、災害時の被災者が一番待ち望むのは自助、共助もさることながら公助ではなかろうか。或いは区内には公助に全面的に頼る人もいる。(それは区内人口の高齢化に比例している)
 その拠点が本庁舎である。普段、区役所の世話にはなっていないと思っている人は多いと思う。税金だけとりやがって何一つサービスを受けていないという主張も若い人の実感かも知れない。しかしそれは、“普段”だからである。平常時だからである。非常時に区役所が機能しないということは、区民にとって、とても痛いことである。最も残念なコトになるかもしれない。
 実は、本庁舎建て替えの方向は2006年頃に着手の一歩手前まで来ていた。それが2008年のリーマンショック、百年に一度の大不況で、財源の見通しが立たなくなって沙汰止みとなった経緯がある。そこに2011年の大震災。
 現在の区長は、決断が出来ない(または遅い)ことで有名である。その反面、議会(多数派)が決めたことならすぐやる傾向や、区内有力団体の要請にはホイホイ応えてしまう政治姿勢で知られている。
 しかし本庁舎問題だけは何を繕っても、区長の責任は免れないと思っているのだろうか、決断はノロノロである。区長の仕事は突き詰めれば責任を取ることだけだろう。あとは5千人の職員が考えて働くだけである。今決断しても竣工は10年後くらいである。
 首都直下は明日来るかもしれないのに・・・。