2014/09/11

88万人のコミュニティデザイン&読書感想文


 出版社によると当初の発売時期は昨年春。それが秋に伸び、今年の春に伸び、結局、今年の9月9日にやっと出版。この遅れに遅れたことが著者の政治姿勢そのままかもしれません。(別の言い方をすれば、遅れに遅れたことがいかにも著者らしい?)

 本の構成も、これも当初は半生を記す予定だったらしいが、結果的に7章立てのうち最初の1章に10代から20代の記述があるのみで、あとは朝日新聞デジタルに連載した「太陽のまちから」より70本を選んで再編集、加筆した代物。さて読んでみると・・・

 「まえがき」から感動!

 「私は実務家に徹しました」「私はできもしないことを大言壮語をするタイプではありません。力もないのに、アドバルーンを勢いよくあげて一瞬の世間の耳目を集めるようなふるまいは根っから嫌いです。政治は結果が全てです。」(4P)
 
 実務家の意味はわからないけど、余計なことにとらわれず、区長としての課題をコツコツ解決してきました!という矜持の表れなのでしょう。さらに著者の言うとおり、出来もしないことを平気で言う輩が多い中、まさに政治は結果が全て、誰もが今は言わなくなったことを堂々と語る、羞恥のかけらも微塵も感じさせない言い切りに感動!もう「まえがき」から早く次を読みたくなるワクワク感を抑えきれません。

 第1章 孤独な10代といきづらさを抱える若者たち


 「自分が何者であるのか、自分はどこから来たのか、そしてどこへ向かって歩んでいくのか」「私が探していたのは、誰かの借りものでない自分の「言葉」であり、「文章」でした。」(14P)

 

 自分の言葉を、自分の文章を、探していた10代後半での喫茶店での苦悩を綴りながらも、さりげなくポール・ゴーギャンの作品名を散りばめた、重層的な構成に脱帽。まさに並みの筆さばきではない。借りものではない自分の、と懸命に拘っていた若い時から、40年の月日が流れ、今ではもう借りものの言葉なんかへいちゃらとばかりに、章の冒頭にポール・ニザンの言葉を配し、若き時代の苦悩からの解放を表しています。


「ひとりであることを選び、ひとりであることに耐え、自分ではいあがろうと、もがいているような日々でした。」(17P)

 まるで永ちゃんのようなセリフをさりげなく書く筆致が、グイグイと読ませます。あったよなーそんな感じ誰にでも、みんな、それぞれ、いつの時代にも 再び誰にでも。ちなみに永ちゃんはこう言ってます


「オレは、いま生きるのがつらいって言っている人は、やっぱり、どこかに自分の生き方を自分で決められないって背景があると思うんだ。・・・かんじんなのはテメェの足で立つことなんだ。」矢沢永吉「アー・ユー・ハッピー?」より

 この章では、苦悩の時を経て、自分の言葉らしきものを手にすることができ、その後物書きとして大成功し、衆議院議員にものぼりつめ、収入も同世代の会社勤めの人たちを大きく上回るようになったことが記されています。ここでは、若者読者への苦悩の先には著者のように大成功が待ち受けているという激励が自らの体験を明かすことで隠されています。ただし誰でもという無責任な言い方は避けています。著者のように幼年期に「自己肯定感」を持った人間こそ、ふさわしいのだ、とクギを刺すことも忘れないところがなんとも言えない大人の優しさを感じさせます。結局、著者は若い頃、悩みながらも誰からも「若者支援」は受けずに、たった一人で這い上がり、名声と富を手にできたが、他の人はきっとそうはいくまいと、普通の人よりはるかに高い目線から、心配するようになったことがわかります。実際身銭を切って、仕事部屋のマンションを若者に開放するような実践行動もにつづられています。もちろん「明星」や「セブンティーン」の連載を持つ身としての“取材源”だったことは書かれていませんが、普通の人より高い目線は後年区長となって「若者支援」を打ち出す伏線となっていく重要な章です。

 第2章 保育園の「子どもの声」は騒音か

 この章ではいきなり現職区長(2015年4月26日まで)として保育園が場所によっては迷惑施設になったり、子どもの声が騒音として扱われることに疑問を呈し、ドイツの例などを挙げながら、実務家としての考えを淡々と述べています。
 どうやって解決するかについては、ドイツでは条例を作ったというヒントを記すのみで、自ら動こうとしない様は挑戦的ですらあります。著者は、区長が自ら動き条例を作るような「おまかせ民主主義」では真の自治ではないという強い信念が感じられる圧巻の章です。そのことは次の一文こそが著者の解決策として提示されていることからもわかります。


「子どもが声をあげて元気に育つ権利」に着目したいと考えています。子どもは未来の可能性であり、子ども施設の音を排除しないで受容する地域社会をつくりたいと思います。(50P)

 着目し、考え続け、思い続ける、このことが一番重要なことだと著者は静かに語りかけます。現状が何も変わらなくても、何の解決にならなくとも、まず着目し、考え続け、思い続ける、そうすれば自ずと何でも受容する地域社会がつくられるというのは、おそらく著者の区長としての権力は抑制的であるべきだ、という信念なのかも知れません。
 また関連で世田谷区は保育園の待機児童ワーストワンではないことを、各自治体の集計方法の違いに着目し、しつこく語ります。一見、待機児童解消という本質とは違う話しのようですが、そこは政治家。まさに「見え方」「見せ方」は政治のイロハだと、待機児童の話にかこつけて読ませるのは、政治に関心のある読者への配慮でしょう。著者の読者に対する目配りは大したもので、様々な読者層を考えてこの本が作られていることをわすれてはなりません。
 この章の最後の方で、産前産後の施設の必要性を訴えて期待感を煽るように見せて、国からの補助金がないからできないのだ、と赤裸々に語っています。無駄使いをなくすとか政策の優先順位をつけるとか、常識的な手法を取ろうとせず、あえて明解に国が悪い、と虚心坦懐に述べるところが著者の誠実さの表れなのでしょう。この章の終わりは次の言葉で終わっています。育児に悩む母親への解決方法なのでしょう。


不安に晒され、ひとりで悩みを抱え込んでいる母親たちを「ひとつながり」に支えるために何をしたらいいか、共に考えていきたいと思います。(69P)
まさに、「共に考える」というのが著者の区長としての仕事なのです。筆者の言う実務家というのは「共に考える」ということが次第に明らかになってきます。区長でありながら、常に自分を客観的に見続ける余裕、それこそが回りの職員を慌てさせ、狼狽させ、目を引きつらせ、必死に働かす極意なのかも知れません。ごく一部を除き多くの職員が仕事上のやりづらさを訴えているのも、区長の術中にハマっているからかも知れません。

 第3章 子どもの声を聞くことから出発する

 この章では子どもの人権に関することが書かれています。「愛のムチ」という名の「暴力」とか「理由なき暴力」の影に体罰の横行とか、いまさら誰でもが言いそうなことを意図的に並べ、飽きたなぁと思った頃に次の文章が飛び込みます。


 「体罰禁止」「いじめ撲滅」のスローガンでは子どもを守れない。そう感じて、動き始めています。(75P)

 語尾をわざと現在形にして、何やら始まりそうな印象を与えて、この章の最後で「せたホッと」(世田谷区子どもの人権擁護機関)が出来ました、とつながります。唯一の区長らしい仕事であり、選挙時の公約実現と、力の入った言い方をしていますが、選挙公報には載っていないじゃないか、という指摘には、会った人ごとに色々なことを言っているということなのでしょう。もちろんそれ以前から子どもの人権擁護の部署はあったのですが、条例に明記し名称を付けたと事と先進事例のパクリは著者の努力のたまものかもしれません。残念ながら言うほどの成果は上がっていないらしいですが、出来たところまでしか言わないのが著者らしいところ。これも「見せ方」「書き方」のテクニックなのでしょう。

 この章では、今春、議会でも問題になった「オランダ視察」の旅行記が載せられています。教育委員会報告、朝日新聞デジタル、そして本書ということで1粒で3回おいしい仕事をしているのです。ライターとしては失格でしょうが、著者としては様々な媒体を通して、(知っていることを)知らせたいのでしょう。これも読者サービスの一環であり、外せない一節なのでしょう。役にはたちませんが、制度の違った国の話は面白いです。そして多額の公金を使った視察だったことをおクビにも出さず、このように結んでいます。


 オランダの教育は進化を続けています。ここから啓発を受ける点は数多くあると感じました。(111P)

 さすがに区長として、教育への介入につながる言葉を避けています。また何かに誘導する文章でないことの証拠に、「オランダ」の部分を「日本」に替えても、意味は通じますし、「代々木ゼミナール」に替えても意味が変わらない所に著者の慎重さが伺えます。


 第4章 超高齢化時代と世田谷型「地域包括」

 この章では、筆者の視線は子どもから離れ、空き家や独居高齢者や高齢者施設の紹介に費やしています。高齢者福祉については筆者は得意ではないか、或いは関心が低いのかも知れません。普通なら足らざる所は勉強するのでしょうが、そこは著者の著者たる所以で、そこにいる人の声を聞く、その場所に出掛けることで弱点をカバーしているのでしょう。よくわからなくとも会って、話を聞くというリアリティーこそが物書きの王道だということを示している章です。

 第5章 地域から始めるエネルギー転換

 前章と異なり、筆者の得意分野という感じが行間から伝わって来ます。三浦健康学園の跡地に太陽光パネルを設置したという単純な話を、一つ一つの事実を重ねることにより、読み手に大変な決断をしたんだという印象を与える筆致はさすがです。返す刀でリスクはリース会社持ち、ということもサラリと説明することを忘れないのは区長としての責任回避への備えなのでしょう。

 また本来なら庁舎改築すべき時期だったことを伏せて、現在の庁舎横にガスタービン発電と井戸による給水システムを作ったことを紹介し、区役所の災害対策の中枢機能は万全ですよと、即断即決のできる区長を表現しています。写真を多用して二重投資だったことを文字ではなく視覚的に表現しているところに新たな著者の工夫が見られます。そのことは実は文字でも暗に表現しています。次の一文です。うっかりすると読み落とす箇所です。


自治体の仕事は議論のまま終わらせることは許されません。かならず目に見える形で結果を出すことが求められます。(150P)

 確かに写真を見れば、改築するならこんな工事やるんじゃなかったのに、と目に見える形で結果は出ています・・・また世田谷区の財源に触れて次のような一文もあります。


 自治体で1億円の財源をつくりだすのは大変なことです。(156P) 

 これは区内の公共施設の電源を東京電力から新電力に替えることで、1億円安くなったことを述べているのですが、後に著者は1億円を失うことは、いともたやすいことを痛感させられるのですが、その類の記述は一切出て来ません。(がやがや館ほか)その割り切り方が、却って著者のファンには堪らない魅力となって光を放っているのかもしれません。ストレスの感じることは書かないのですから筆者はのびのびと筆を進め、また有名人との交流も描かれるなど、筆者の人間性が伝わる一章です。

 この章の最後では自費で行ったデンマークのロラン島の紹介があり風車による自然エネルギー等についてその歴史からと、盛り沢山の内容があります。なかなか示唆に富む内容です。ただし筆者はその昔、伊豆半島の風車発電の反対運動を助けていた事実は触れていません。その変節ぶりを微塵も感じさせない圧倒的な筆力に改めて感服。読み応えあります。

 第6章 民主主義の熟成が時代の扉を開く

 この章は、筆者は区長というより国会議員のノリで前半を原発問題を基本に話を展開させていきます。後半は昨年春に行った区長としての反省会の記述です。


2013年5月12日、私が世田谷区で取り組んできた政策を検証する公開ミーティング(後援会である「保坂展人と元気印の会」主催)を開きました。区長選の時に掲げた「基本政策」のうち、就任後の2年間で何ができ、何ができないのかを項目別にチェックしようという試みです。(216P)

 政治家の報告会は90分が相場のところ、徹底的に議論してもらうために筆者は270分もの時間を設定したことで、いやがうえでも、ページをめくる手が早くなります。が、著者もしたたかで、区長選の時に掲げた「基本政策」というところに一工夫します。 さらに著者は区長の責任を「参加型民主主義」を訴えることで、責任の所在を区民にもやんわり自覚させるあたりは、自己啓発セミナーもびっくりの鮮やかさです。ここでは「大型開発優先の区政の転換」も「川場移動教室」も一切出てきません。後援会による温かい眼差しにあふれた会だったことだけが伝わります。


 参加者から一方的な行政批判や個人的要望はほとんど出ませんでした。むしろ「こうしたらどうか」という提案型の意見が多く飛び出したのが印象的でした。(218P)

 ここも時間設定が昨年の5月だったことが著者の工夫したところです。必ずしも本の終わりの方だから、最近の話と思いそうなところを実は1年半も前の反省会であり、その後の数々の不満については、ここでは触れていません。ある意味「新人保坂区長神話」の神通力が衰えていない頃の話を最終部分に配置するところに著者の優れた構成力を感じます。しかも日時を正確に書いてあるところに、正々堂々感を出し、誰からの批判を封じる工夫もされています。

 第7章 地域分権と「住民参加と協働」の道

 最終章。都区制度論の解説から話はあちこちに飛びます。各章で触れたトピックスをもう一度繰り返したりしています。また筆者が関わった袴田元死刑囚にまつわる話もあります。

     以上、面白い本ですから皆様も一読を。